シンプルに、ネガティブにポジティブに生きる

プロフィール

ナカタさん

Author:ナカタさん
現在23歳。

温泉と読書、自然をこよなく愛する。

あと、丸いボールとは10年以上の腐れ縁である。




「森の生活」  ヘンリー ディビッド ソロー


私は静かに生きるため、森に入った。
人生の神髄を吸収するためだ。
命ならざるものは拒んだ。
死ぬ時、悔いのないよう生きるため。

I went to the woods because
I wanted to live deliberately.
I wanted to live deep, and suck out all the marrow of life.
To put to rout all that was not life...
and not,when I had come to die,
discover thet I had not lived.



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引越し準備とその他

最近は ーていうか主に今日なんだけどー、引越しの準備やらなんやらで少し慌しかった。

目新しいことと言えば、携帯を変えた事。

今まで使っていたのはN505isだ。最近はいくら充電しても30分くらいで「充電してください」と言われていた。

しかもこれはかなり古いらしい。使い始めたのは2004年の9月だ。
だから、2年半近く使っていることになる。驚いたことは、今じゃ90○シリーズが出ているってことだ。

弟から電話で「そんだな持ってる人いねぜ(そんなの持ってる人いないよ)」と言われて初めて気づいた。

新しい携帯はマジすげえ。何もかもが性能アップしている。
まぁ、ちょうどいいか。社会に出るってことでいい区切りだ。


明日は朝から軽トラをレンタカーしてせっせと荷物を移動させる。

心配なのは軽トラを扱いきれるかどうかとか、運んでいる最中に荷物が落ちないだろうかとか、そういうことだ。すべてはロープにかかっている。



結局、クレオで4年間過ごした。住めば都だった。

ホームシアターと温泉にはお世話になった。

いろんな思い出がある。


酒を飲みまくって気づいたらギター持ちながら外の道端で寝ていたこと。

読書に耽った事。

ジョギングして道を通る時、人と会うとちょっと恥ずかしかったこと。

釣りしたこと。

深夜のサッカー観戦。

窓の鍵を閉め忘れてちょっとイタかったこともあったなwww。

etc

まぁ、総じて面白かった。

もうすぐ24歳になるけど、これからも生活を楽しみたい。


PS:そういえば、間 寛平さんが世界一周ランニングするらしいね。還暦を目前にしてもああいう元気なおじさんがいることに、個人的にはすごい励まされるね。





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古書店主との会話

今日の出来事で個人的に面白かったことがある。

それは、80歳になる高齢の方とお話をできたことだ。

場所はある古本屋。

それは現代的(Book○ff的)古本屋でなく

70年代の東京神田川に存在するような古本屋だった。

彼は書店主だった。

本を数冊買い終わり、レジを離れる前に

「このお店は何年くらいやっておられるんですか。」と聞いた。

それはあまりにレトロな雰囲気を醸し出すこの店に入ってしまった人間にとって聞かずにはいられない質問のように思えた。

「30年だねぇ。。。」

なるほど。30年か。結構長い。

「あんた、遠方からきたのかぇ?」

山形という言葉を出した時、ご老人の顔の表情が一変した。

「山形県ですか~。私、山形好きなんです。藤沢周平、上杉とかあの県からはけっこうな方が輩出されているやぁね。それと、九州とかこっちの人と性格が違うんですよ。粘り強いっていうかねぇ~。何っていうんだろう。反体制的でもあるんだよね~。こっちの人はな、情熱的なんやけどな、あっけらかんとしてる部分もあるかわからんな。。」

自分が褒められたような気がした。でも、そうではない。山形の人が褒められただだけだ。まぁ、うれしーけど。

その後、いろいろ話を聞き、この方についていくつかのことが判明した。

鳥取砂丘、出雲などに1週間旅行をしたこと。

齢80に近いにも関わらず高速道路を好み、120キロ出すことを楽しんでいること。

戦時中は軍需工場で働いていたこと。

昭和20年の9月頃に汽車で故郷へ引き上げる際、ある駅で全身を包帯でぐるぐる巻きにした人達に遭遇したこと。それが今でも心に染み付いていること。その人達は明らかに被爆者だったこと。彼らは広島を逃れる際、途中の駅で野宿していたこと。原爆投下後の新聞には小さな扱いで新型爆弾が使われたことが載っていたこと。

戦後のアメリカ進駐軍のスマートさにびっくりしたこと。特に上官と部下が分け隔てなく会話をしていたことに。なぜなら日本で軍といえば、上下関係が厳しくすぐ手が出る感じだったから。アメリカ進駐軍の部屋にあった漫画を読みたくてたまらなかったこと。

ローカル雑誌に詩を載せていること。

今、車で山形に行く計画を立てていること。


などなど。

結局、マシンガントークがとまらず、30分以上は立ち話をした。




なんか、リアルタイムで太平洋戦争を経験した人の話を聞く機会って少ないから、けっこう興味深かった。広島のこととか。

日本は60年前は焼け野原だったのに今はそんなことを微塵も感じさせないほど先進的になったけど、60年でこんなに急速に変わった社会の結果として、人間はどうなっちゃってんのかなー(否定的な意味じゃない)ってのに興味が沸いた。自分らの年代は生まれた時からけっこう物もあって食べるものもあって、ベースが出来上がってたんだけど、今の40~60代くらいの人達とかは、バブリーっていうか、社会がどんどん変わることを体験してきたわけで、彼らの思ってることとか興味があるな。


PS:3月からしばらく(一ヶ月~数年?)ネットが使えません。更新はたまに行くネットカフェでかな。
ネットに親しむ人間にとってネットのない生活がどういうものなのかな。経験してみよう。まぁ、不便だろーな。




アパート探し

卒業後は別府にいる予定だったが、どうやら大分市になりそうだ。

なんかの本で

「一番好きな街には、住まないで時々訪れるくらいがちょうどいいのよ」

みたいなこと言ってたけど、僕もそうなるみたいww



今日の正午に大分に行って最初に案内してもらった2Kの物件を気に入った。たぶんここに住むだろう。

大家さんが隣で家具作ってたから見学しつつ弟子入りしようかな^^


本当は、3Kで3万という激安木造アパートを熱望していた。

不動産屋さんはお母さんみたいな年齢の人で、僕がこの物件を希望すると「やめたほうがいいわよ」と言った。

なぜかというと、築30年でまったくリフォームされておらず、トイレも和式だしドアも昔のまま。見た人はみんな絶句するからだという。

僕は、「2K以上木造で安いところが好みだし、そのほうが癒される予感がするんですよ」という物件探しのスタンスを伝えた。彼女は少し驚いたみたいだった。

どうしても見学したいモードを醸し出していると、彼女は仕方なく大家さんに電話をかけた。電話は二言で終わった。

「もう埋まったって。」

彼女はうれしそうだった。    一方で僕は落胆した。


その後は冒頭の物件を見に行って即決した次第である。



彼女はたぶんだけど、一人で不動産仲介業をしているみたいだった。

忙しそうだったけどなんか生き生きしていた。

それにしても、引越しって大変そうだなぁ。







チャンピオンズリーグ見たいなぁ

昨日と今日、日本列島に住み自宅に仕事を持ち帰って徹夜をしている、サッカー好きだがスカパー未加入な人間が存在したならば、彼らはただでさえ多いストレスを短時間でさらに増加させることが予測される。

その主な原因にとして考えられるのは、欧州で繰り広げられているスペクタクルでエキサイティングな奴らの戦いが地上波で行われないという「愚行」である。

とりわけ04年と06年の欧州王者同士の一戦が見れないという事実は彼らの仕事能率とモチベーションを著しく低下させ、ともすれば翌日の仕事にも影響しかねないとの見解も見受けられる。「ウコンの力」の売り上げ上昇にはこうけんするかもしれないが。

深夜における視聴率を憂慮するならば、全国にその勢力を拡大しているニッキー(neet&ヒッキー)や春休み中の学生達に賭けてみてもよかったのではないかと思われる。

「行」としてのサーフィン

AERAって言う雑誌。

けっこう読むけど、一番好きなコーナーは「現代の肖像」

毎回ジャンルは違うけど、ある一人の人間を紹介している。

これ読んでると本当にいろんな人がいるなぁって思う。

最近面白かったのは日本の伝説サーファー(石井さん)。

サーフィンって言うと、なんか海で長髪の兄ちゃんが遊びでやってるってイメージが一般的かもしれない。

でも、サーファーにとっては「遊び」や「スポーツ」を超越したものであるようだ。

石井さんはサーフィンを、座禅に変わる現代の「行」として考えている。

また、一般人にとって「所得」とは、多くの場合生活するお金を得るこ

とだけど、サーファーにとっては波乗りする場所を得ることだという。

家にも書斎に哲学書やらがいっぱいあって、波乗りした後は思索に耽る。

海を愛しすぎて彼女ができない青年サーファーにも声をかける。

悩み多き青年達は石井さんと出会って、時にはインドやチベットに飛ぶらしいw

石井さんが若い頃に受けた出版社面接エピソードがおもろい。

髪が長く脱色していて身なりはボロボロで来社。

思わず、「おまえは乞食か!」とは社長のお言葉。

そして面接へ。



石井さん  「社長、サーフィンってご存知ですか?」

社長    「何が面白いんだ?あんなもの。」

石井さん  「あれはエクスタシーです。」 


だって(笑) 

結局、面白い奴だと思われて採用されるんやけどね。

その後、2年ぐらい世界放浪したり

八丈島で自給自足しながらサーフィンして

いつ死んでもおかしくない状況で「ナミノリダブツ」とか唱えたりする。

今はサーフィン季刊誌の編集長してる。

他にもいろんな詳細が書かれている。


俺も納得する人生っていうか、俺オリジナル的な人生送りたいなぁって思った。

まぁ、そういう生き方って風当たりみたいなものが強そうだから、自分の心の大事な場所にしまっておいて、速やかに実行するのがよさそうやけどねwww

PS:サーフィンって波の上に乗った瞬間どんな感覚なんかな。俺の弟もハマりまくりスティーだし。ちょっと興味あるなぁ。





大学生活を振り返る②→旅~21歳ヨーロッパ着陸~

さて、今回は2年前の旅の続きです。



・ヨーロッパ着陸

私は上海を飛び立った。

そして、これから約12時間この重い物体の中に缶詰にされると思うと、気が重くなった。

下手すれば、この飛行機が私という一体の人間の人生を終わらせてしまう事実を思った。

言うなれば、私はビビリだった。

オランダのベルカンプという偉大なサッカー選手が、

「俺は飛行機恐怖症だから日韓W杯には陸路で行く」

と言い出した(らしい)ことにも共感できた。

彼はこの点で、空飛ぶオランダ人にはなれなかった。(※)


(※)1970年代、オランダにはヨハンクライフというサッカーの英雄がいた。   
 彼のニックネームは「空飛ぶオランダ人」



何はともあれ

私は、意識を何か他のものに追いやるためもあり

機内ではほとんど眠っているか、本を読んでいた。

たまに、前方に見えるブラウン管を観る。

そこにはユーラシア大陸の地図のようなものが映し出され

ランプが点滅している場所が飛行機の現在地であった。

そこで私が実感したのが、中国大陸の大きさと日本の小ささだった。

そして思った。

「日本って、ほんとにジパングなんだな。」

つまり、よく言われる、「東洋の島国」 ということである。

それに比べて、中国の大きさといったら。。

世界の大きさといったら。。

それまで日本を中心として物事を考えていた私は

そこを実際に離れることによって、否応なく客観的な「日本」というものを実感させられていった。


時間が経つに連れ、

「今はモンゴルの上かな。」 

「今はヒマラヤ山脈の上かな。頼むからエヴェレストにチョイ当てしないでくれよ。」

「やっとロシアの上か。いよいよヨーロッパだな。」

などと考えながら、意外とうまい機内食を食していた。

そして、ついにフランス到着。

農業国だけあって、着陸前に空から見た畑の景色は見事だった。

空港名は「シャルル・ドゴール」

田舎者の私は、「なかなかかっこいい名前じゃないか。」と思った。

(ちなみ当時の私はこれがフランスの歴代大統領名だとは知らなかった)



「では早速、パリの街を歩こうか。」

普通なら、こうなるはずである。

しかし私の足は、空港内の別搭乗口へと向かっていた。

その搭乗掲示には、イギリス・リバプールの文字が。

そして私はその日のうちにリバプールへ飛んだ。

目的は二つ。

ビートルズの聖地をこの足で踏むこと。

そしてもう一つは、

アイルランドに留学中の友達と合流するためであった。

だが、リバプール行きの4000円小型飛行機に乗った時、私は気づいていなかった。



フランスと違って、イギリスという国の入国審査の厳しいことに。

貧乏に見えるように、貧相な服装と70年代登山バックをチョイスした私の決断が裏目に出ることに。

機内食が無料ではないことに。






たぶん、続く。












「自分」を表す言葉について思ったこと。~僕、俺、我輩とか~

なんか、日本語で自分を表す言葉ってたくさんあるなー、って思った。

私。僕。俺。我輩。拙者。とかね。 

英語だと「I」と、あとなんかある?

韓国語は 「チョ」とか。「ナ」っていうのも使うのかな。

中国語は 「ウォ(我)」っていうのは聞いたことあるけど、他には?

他の言語のこともちょっと興味あるな。


で、何が言いたいかっていうと、

日本語で自分のことを表現する時、「私」「俺」「僕」とかどれを選べばいいか迷うこと。

そして、選んだ言葉によってニュアンスが違ってくるってこと。

俺はその時の気分によって無意識に変えてるけどね。

けどまだ、「拙者」とか、「我輩」を使ったことはない。。使ってみたいけどね。


大学生活を振り返る→①旅~20歳国内、21歳中国の一日目~

そろそろ4年間の大学生活という公式モラトリアムを終了してしまう私であるが、ここではホンダ君の大学時代というものを簡単に記しておく。

今回は旅についてである。



旅は、私が大学時代にやろうと思っていたことの一つであった。

19歳まで東北の日本海側で育った私はその土地の価値観とは違うものを渇望していたし、日本とはまったく違う世界というものがこの世界に本当に存在しているのだろうか?とも、疑っていた。もしそうなら、私はそれを見なければならないと思っていた。

よって、旅(特に海外)をすることは大学時代における私の至上命題となっていたのである。

一回生、夏。

別府に住んでいて実家が東北であるなら、帰郷というのはけっこうなイベントである。

経済的にも距離的にも。

「いかに安く往復するか。」

母が課した問題に私は青春18切符という武器で対抗した。

しかも、どうせ日本横断するなら少しずつ進んで街を歩こうと思った。


・ちょこっとメモ(別府~山形間)

飛行機 =    往復5~7万。

青春18切符 =  往復約1万(少し根性要w)


「広島」 
私は夜12時に広島に着き、ビリー座キッドというカラオケ店に入り朝を待った。一人でカラオケに入るという行為は20歳の私には恥ずかしい事だった。しかし、安さが私を説得した。そこで一晩中歌唱力を鍛え、電車中で仮眠を取ったことはいうまでもない。

「京都」
東に向かった私は昼ごろ京都に着いた。とにかく京都から北へ向かえば良いと考えていた私は、駅員さんに「北に行きたいんですが、どの電車に乗ればいいですか?」と聞いた。

「富山」
富山駅に深夜着いた私は必死に安宿を探した。いろいろ当たったが一番安かったのはサウナであった。確か、2400円であった。当時、漫画喫茶はまだ市民権を得ていなかった。

「村上(新潟)」
夜8時到着。実家まで2時間の距離だが、電車がこの時間以降はもうないのである。よってまたカラオケへ。ラーメンを注文しつつ、この頃マイブームだったOasis,Billy joel,Avril、ミスチル、Bumpなどをマイペースに歌う。翌日、実家到着。泥のように眠った。



味をしめた私は、「そろそろ海外だな。」などと考え始める。春休み。バイトで金を貯め、春セメは1日500円生活。すべては。。。

次回に続く。



2回生、夏。

初、海外(ヨーロッパ)である。今でも思い出す。8月21日~9月12日の三週間。

旅立つ前の4~7月、私の頭の中はこの3週間の旅に関する事で8割くらい占められていた。

授業中に、何度も旅資金の確認する。そして空想する。

「旅路の果てに、俺はどうなっているんだろうか。1人で行けるのか。帰ってこれるだろうか。英語は通じるのか。一応、遺書を書くのも礼儀だろう。掘られないだろうか。力もつけておかないとな。etc」


家での腕立ても回数を増やし、音読にも力が入っていた。今考えると、かわいい奴だな、と思う。



「旅立ち~中国での一時着陸~」

8月11日、成田を発つ。 2時間後、上海到着。

我慢していたトイレに直行。でもそのトイレ、何かがおかしい。

見てみると、どうも便座しかない。まさか。。

ダッシュで入り口へと走り看板を見る。そう、女性用だったのである。

しかし、看板の絵の女性はスカートではなくズボンを履いている。

日本のマークに慣れていた私は、うっかり勘違いしてしまったのだ。

誰も入ってなくてよかったと、ホッとする。

しばらくぼーっとしていると、私は大失態を犯していることに気づいた。

パスポートを失くしたのだ。いくら探しても見つからない。

数時間後にはパリ行きの飛行機に乗る予定だ。やばい。やばい。焦る。

係員さんにも協力してもらう。でも見つからない。

そして遂に飛行機の飛び立つ時間を過ぎる。終わった。。

マジでしゃれにならない。ヨーロッパに行けない。お金も損した。。

ってか中国大使館どこ?ってな具合に途方に暮れていた。

その時係員が声を掛けてくる。

カウンターには日本のパスポートが置かれている。

もしや。。そう、私のものであった。

どこにあったのかと聞く。女性の係員はバツが悪そうにこう言った。

「Lady's restroom..」。。。。

「おお!、あの時か!マジか!何だよ。。」と思っていると、従業員が笑っている。

俺は必死で弁解。

「違う違う。マジで間違えたんだよ!日本と中国のトイレマーク違ってさ~。」みたいな事を必死でしゃべる。

そして重々礼を言って搭乗口へ急ぐ。

すると、まだ多くの人が残っているではないか。

しかも従業員と客のおっさんが早口で喧嘩している。

どうやら出発が2時間遅れているらしい。中国東方航空ありがとう。

おかげで無事、ヨーロッパへ行ける。

係員が配ってくれたパンを頬張りながら、私はこの旅を愛していこうと思った。。




PS。今考えればこの経験が、一年後の中国行きの伏線のようなものであったのかもしれない。



だめだ。簡単に書こうとしても長くなってしまう。本日はここで終える。






彦根の彼を見送る。

本日、一人の男がこの街を離れていった。

彼とはフットサルで仲良くなり、就活中も同じ釜の飯を食った間柄だった。

不思議なことに、性格的には正反対に近かった。

彼はかなり社交的で、暇があればとにかく動き回り、人に会うのを好む。

ファッションもかなり凝っていて、おしゃれ。女性の前でも面白いことを言える。


逆に俺は家にいるのを好むし、進んで人に会いたがらない。

ファッションも中学高校の時の服を着ているし、女性の前ではダンマリだし、酒に酔っているとき意外は面白い発言は期待できない。

ちょうど、電気のプラスとマイナスみたいにうまくいったのかな。

でも、二人ともフットサル(サッカー)は好きで、多い時は週6~7で練習していた。つくづくスポーツの人を引き合わせる力ってすごいなと思う。

また、

彼はお笑いにも厳しく、彼がボケた時俺が何も言わずにボーっとしていると、正しい指導をしてくれた。

俺がボケた時はたまに笑ってくれて、面白いネタはどんどんパクるという高等技術も併せ持っていた。

電話やメールを無視したり、付き合いの悪い俺にも食事に誘ってくれたりして感謝している。

バイクの後ろにも乗っけてくれてとても世話になった。彼女を乗せる日もそう遠くないだろう。

また、彼の持つ情の熱さはいろんな場面で発揮されていたと思う。

とにかくこの1年での彼との付き合いはそれなりに面白かった。

別府に来たときは温泉に入って飯を食うことを契りに、彼を見送った。


Good bye Sanma & see you again...





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